水鳴楼

明治14年(1881)74世日鑑上人代に再建。法主居間、貴賓室・応接間からなります。文政12年(1829)に焼失。天保6年(1835)60世日潤上人代に再建されましたが、明治8年に焼失。よって、西谷清水坊の客殿を移築。これは鴻池家の別屋敷であったと伝えられています。昭和55年に再建。大広間には、日本画家加山又造画伯の襖絵16面があります。庭園の上部に永守稲荷を奉祀。

明治14年(1881)74世日鑑上人代に再建。法主居間、貴賓室・応接間からなります。文政12年(1829)に焼失。天保6年(1835)60世日潤上人代に再建されましたが、明治8年に焼失。よって、西谷清水坊の客殿を移築。これは鴻池家の別屋敷であったと伝えられています。昭和55年に再建。大広間には、日本画家加山又造画伯の襖絵16面があります。庭園の上部に永守稲荷を奉祀。